日記みたいな感じで

日記みたいな感じで書きます。

剣道の話3

これからブログやってくよみたいな雰囲気出しながら1ヶ月も間が空いた。

ブログ然り日記然りそういう所があると思う。三日坊主とかよく言ったもので、義務になり始めると続かないのだ。きっとそうなのだ。

 

この1ヶ月ちょっとの間で剣道界も世界大会とか国体とか色々あった。まずは第17回世界剣道選手権大会だけれども、日本の四冠にも関わらず何故ネットニュースは「韓国が審判に不信」みたいな記事しかないのだ。もっとあった?あったならいいんだ。相変わらずマイナースポーツの域を出ないのだなぁと思った。

 

まぁ観てても面白くはなかったかもしれない。既に色んな人(Twitter調べ)が言ってるように、特に男子団体の決勝は清々しさに欠ける試合ではあった。めちゃくちゃ偏見だけど、警察剣道大会とかでも見られるような、こう、勝ちに拘った乱暴な剣道だったと思う。1本取って逃げるとか、不必要にタイムをかけるとか、攻め合うんじゃなくて当て合うって表現されるような試合とか。日本の国旗にかけて勝利を持ってきたことは素直に感動したし本当にすごい。選手達と、彼らが自分の持てる力を出し切って優勝したことを批判する権利は誰にもないんじゃないかと思う。

 

国体にしてもそう。開催地のチームへの旗が軽くなる傾向があるってのは周知だと思うけど、それでも選手達と彼らが行う試合については批判することはできない。

 

大金が動かない(と思ってるだけかもしれないけど)競技だからこそ、それ以上深堀りしようとすれば"べき論"の問題になってくる。「武道とはこうあるべき」勢の話は得てして聞くに耐えない。個人的には。

 

自分の中で、「良くなる」とは何か?という問は重要なテーマになっている。剣道だけではなく、良くなるってなんだろう。そういう哲学もとい社会学が好きだったりしている。あんまり強くないし剣道について講釈を垂れるつもりもないからこんな話になってくるんだよね。ごめんね。

 

剣道において「良くなる」ってなんすかね。試合に勝てるようになるとかできなかった技ができるようになるとか色々とあると思うんですけども。

みんな違ってみんないいじゃんみたいな感じに収めてしまうことは簡単なんだけど、それだときっとみんな納得しないと思うんだ。剣道っていう1つの武道、極めた先に見えるものは1つではないとは思うんだけど、きっとその見えるものに共通の、剣道における「良い」の根底のものが必ずあるはずだ。

 

まぁ全然極めてもいないしわかんないんだけど。それを極めてない人が大多数(いないのかもしれない)がなんかSNSでとやかく語るのが嫌だなっていう話でした。

 

「良くなるとは何か」というのを常に考えながらどの道も進んでいくべきで、驕りも蔑みもしてはいけないし、それが礼節なんじゃないかって思ってるよ。まだまだ頑張りたい。

Aqua Timezの話

今、スポーツ界が揺れている。

日大ラグビー部の問題をはじめ、剣道、体操、各協会の威信が揺らぐ出来事が頻繁に起きている。

2020年の東京オリンピックパラリンピックを控え、スポーツ界のみならず、大会施設の問題、外国人の問題等未解決の課題は山ほどある。

 

だがそれらよりも喫緊の憂慮すべき事項がある。Aqua Timezの解散である。

 

筆者はゴリゴリのAqua Timezファンである。小学生のときに「決意の朝に」を聴いたときの衝撃は忘れられない。

「どちゃくそかっこいいメロディーからどちゃくそかっこいい歌詞が飛び出してくるやんけ!」と思った。いや、思ってないけど。言葉のあやね。

 

とにかくもうずっぽり惚れ込んだ。

"不安定な思春期"に、仲間や家族や勉強や何から何まで、アイデンティティを確立する前の自分にとってあらゆる分野で背中を押してもらった。

 

とにかく歌詞が優しい。

「幸せになることを急がないで」とか

「寄りかかってもいいんだよ」とか

寄り添って味方になってくれているような感覚になる。

大人になった今でも、最近だと「未来少女」という曲で、一際感銘を受けた歌詞がある。

「自分以外の人がみんな 幸せに見えるというなら ワタシもそういう時がある お揃いなもの みつけてゆこう いいこともやなことも まるごと」

すごくないです?こんなこと言えるの。単純に頑張れ!っていうだけの無責任な台詞じゃないんですよ。「ワタシもそういう時がある」「だから一緒に今を生きよう」みたいなさぁなんか泣けてきたよわかるかな俺だけかい。すごく聴き手に寄り添ってくれる曲だと思うんですよそうじゃない人も聴きなさいメロディーも良いから。ふぅ。よっしゃあ。

 

いつかのライブで、「どんな事があってもみんなのことは俺たちが歌で肯定してみせる」と言っていたのが強く印象に残っている。

クサイよな。わかる。クサイんだ彼らは。

 

とても綺麗事なんだけれど、彼らはそれを本当に真っ直ぐに歌っていて、飾りっけがない。一見くさいセリフを本当に歌で聴いてくれている人を勇気づけるために歌っている。それが歌詞を読んで、ライブに行って、ものすごーく伝わる。

 

ボーカルの太志の喉の調子のせいでライブが延期になったときに、快く応援してくれたファンに向けて「小さな掌」って曲を作ってしまうくらい(この曲の歌詞は「言葉じゃ足りないけどありがとう」で終わる)、ファンが期待してずっと待ってくれるのをよしとしないで休止ではなく解散を選んでしまうくらい、彼らはとても優しい。だからこそ響くんだね、彼らの曲は。

 

彼らのファーストミニアルバム「空いっぱいに奏でる祈り」はインディーズながらオリコン1位を獲得し、特にその収録曲「特身大のラブソング」が有名になった。

この曲な、結構パリピっぽいんだよ。ファンから言わせればAqua Timezっぽくないし実際彼らもそのアルバム一曲目の「希望の咲く丘から」みたいな曲で攻めて行きたかったらしい。ライブでは盛り上がるし嫌いじゃないんだけど、「あーAqua Timez知ってるよー特身大のラブソングとかめっちゃ好きだわー」とか言ってくる人に出くわすと「知ってくれているのは嬉しいがお前は違うな...」となる複雑なファン心よ。

 

その「等身大」で売れた彼らは自分たちを「一発屋」って言ったり武道館前に足がすくんだって言ってたりなんかもうそのへんも好きでさぁ謙虚なんだよーロックじゃないんだよ。

チャラついた若者がやっているバンドっていうイメージは全くなくて、本当に真摯に曲を届けようとしてくれているバンドなのさ。

 

そんな彼らが「やりきった」と言って解散の道を選ぶのは本当に残念だけれど、ファンとしては泣く泣く受け入れるしかない。散々支えてもらったんだからあとはこっちが彼らが円満なラストを迎えられるように両手を広げていなければならない。そんな使命感がある。

 

ラストライブの最後の曲はなんだろうな....決意の朝にか小さな掌かlast danceあたりが相場だとは思うんだけど、hey my menとかナポリとかで悲しい気持ちを有耶無耶にして終わってほしいって気もしているんだよな。

 

何にせよ俺の青春が終わってしまう。

曲を聴けば、それを聴いていた当時のことを思い出して青春が続いていくような錯覚を覚える。新曲が出る度に、いつも感じていたわくわくで心が子どもの頃に戻らせてくれる。

その青春を彩った人達が活動を辞めてしまうことは、青春が過去のものになってしまうようで、自分が本当に大人になってしまうようでとても寂しい。

"一生青春"なんて彼らは歌っていたけれど、綺麗なものは変わっていってしまう。

曲の色はこれからどんどん違ったものに見えていくだろう。

けれど、いつか思い出す記憶に、確実に優しさは溢れている。

last dance、来てほしくないけど待っています。

 

食べ物の話

君は歯が生え揃って以来、1ヶ月間何も口にしなかったことはあるかい。

 

持病の説明をするときによく使うフレーズだ。そう、私はまだ若いのに持病がある。

しかも一生付き合わなきゃいけないタイプのやつだ。

 

端的に言って飯が食えなくなる。

何故か、お腹が痛くなるんだね。

 

普通のお腹の痛みじゃない、とんでもなく痛い。痛みで眠れなくて病室でナースコールをして「とてもお腹が痛いです」と死にそうな顔で言ってしまうくらい痛い。

 

その持病の関係で1ヶ月の点滴生活を2回経験したわけだが、1番の教訓は「食は幸福」ということだ。

 

1ヶ月も何も食わないと食への渇望が半端じゃない。どれくらい半端じゃないかと言えば孤独のグルメ漫画版2冊を読み切りドラマ版2シーズンを一気見してしまうくらい半端じゃない。唾液を溜めて食欲を落ち着かせるんだね。

 

絶食2週間を超えたあたりで、Twitterで「ファスティング」とかいうファッション断食をしている大学生を見つけて本気でぶん殴ってやろうかと思った。何が「水が甘く感じる」だちょっとそこに座れ。こちとら命を懸けた切迫したファスティングなんだよ。

 

実際にはこの持病が原因で死ぬことはないのでまぁいいんだけど、絶食は辛い。

人間、人生の7割の幸福は食が占めてる。間違いなく。美味いもんが食える幸せ。

 

ただ、食べられる幸福はよく分かっているんだけど俗に言う馬鹿舌を持っているんだね。

「美味しい」か「食べられる」か「あんまり美味しくない」っていう分類しかない。

 

グルメってなんだ?何をもってミシュランは星をつけているんだ?食戟ってなんだ?

 

今後、食もたまにはテーマにして、美味しいものの話とかができたらいいなと思う。

今日も食べ物が美味しい。

 

 

剣道の話2

高校生から剣道を始めた時点で

青春時代の剣道の上達度合いはまぁ

お察しだったのだが、それにしても

大学でももう少しやっておけばよかったと

偶に思う。

 

フリーランスでやってた」とよく

説明するんだけど。

高校に行ったり知らん剣友会に行ったり

しながら卒業後も続けていた。

 

大学卒業前、3年生くらいから

ちゃんと先生の元について

基本を改めて習ってみて

ボロが出ること出ること。

高校の時は青春で7割は押していけたから

残りの3割でしか剣道してなくてもなんか

充実してたんだね。

当時はがむしゃらにやってたんだろうけど。

そういうのあるよね。

 

高校時代に所属していたのは

都大会になら予選超えて行けるかな

くらいの都立高校で、2年生から次鋒を

やってた。戦績はまぁまぁだった。

 

空手を9年くらいやってて、高校でも

武道をやるか。俺球技アレルギーあるし。

みたいな感じで剣道をやり始めたんだね。

 

なんか俺は球技やってるように見えるらしく

球技大会のソフトボール

俺が打席に立ってバットを振り回したとき

女子がざわついたらしい。

下手すぎて。

イメージのフィルターで勝手に落差を感じるのはやめろ。

 

高校時代の剣道は何だろうか、

経験者と初心者の「場馴れ」感

とでも言うのか、「勝負をする感覚」が

分かってなかった。

 

その分かってなかったというのを

今になって実感しているんだね。

今通っている道場は所謂

「綺麗な剣道」を教えてくれるところで。

 

「試合で勝てる剣道」と「綺麗な剣道」とかな、

よく言ってたんだよ経験者が。

よく分かってなかったんだけど今は少し分かる。

 

剣道の良い所としてこないだ挙げたのが

「勝ち負けに限定されない」って点だった。

自分の向上のために必要なのは

試合における勝ちだけではないんだね。

 

引かずに真っ直ぐ向かっていって

自分の技で勝負をして、それで

打てたら何故打てたのか考えて反省する。

打たれたら潔く認めて次に生かす。

「打って反省打たれて感謝」みたいな言葉があるけれども、そういうことを教えてくれてる。

「試合の内容」とか言うじゃない、勝負に勝って試合に負けたとかさ、あれってあるなぁと

思うんだね。

 

試合の結果に拘るのは悪いことではない。

勝ち負けはついてくるしね。

ただ一本を取るためのテクニックを

教わることだけが剣道かと言われれば

そうじゃないと言わざるをえなくない?

どう思う?

竹刀を首で避けて鍔迫り合いに持ち込んで

首元を割って体勢を崩して引き面

みたいなさぁそういうものめっちゃ格好良い

けどやっぱり正面を割ったどストレートな

面打ちが1番つよくてかっこいいんだよな。

浪漫あるじゃん。

小手ばっか狙っちゃうけどね私は。

 

負けても怒らないけど、腰の引けたような

試合を見せると怒ったり

つまらない小技は出さずに大技で勝負しろと言ったりする。

そういう先生方だから、

正しく強い剣道を俺は目指そうと思ってる。

どうせ学生時代ブイブイ言わせてたやつらは

そのうち辞めるから、続けてりゃ

追い抜いていくだろうみたいな精神は

持っとこうと。へぇ、良いじゃない。

 

「打って反省打たれて感謝」が「勝負の感覚」なんだね。何事も。

それにもっと早く気づいてたら

もっと楽しくなってたなと思って。

 

これは偏見だけど、何事も

才能があって強い人ほど

傲慢になってる気がするので、

もっと寛容になればいいと思うんだよね。

人類はみんな。打たれて感謝とか

言えばいいんだよね。

どう思う?

 

 

 

 

 

 

 

剣道の話

剣道の話をさせてほしい。
なぜか。話せるところがないんだね。

この夏甲子園出場校の名前は散々
Twitterでトレンドに入ってたようだけど
昨日まで三重で行われていた
剣道のインターハイ優勝校九州学院
トレンドに入る気配も無かった。

だからと言って、五輪競技に加わるとか、
華々しい注目をされればいいかといえば
そうでもない気がする。
ただでさえ柔道がそうなったように
「武道のスポーツ化」に批判的な声が多い中で
変に注目されることは競技の多様性を狭めるし、
あと煩い人達がネットに増える。
「こんなのは剣道じゃない」みたいなね。
これは剣道家の悪い癖なんだけど。

滅茶苦茶偏見だけれど、剣道やってる人の
インターネッツの雰囲気はなかなか、
なんと言うかナルシズムに溢れてる。
個人競技だからかな。

剣道だけじゃないのかもしれないけど
スポーツマンのSNSは結構な香ばしさをしている
ことが多い。
鏡越しに腹筋を撮ったりメンバーとバーベキューに行って「マジ最高だった」とか呟いたりするなよ。

まぁ青春・球技アレルギーの
俺が荒んでるだけなんだろうけど。
香ばしい方々、申し訳ないです。

俺は高校生から剣道を始めてそこから楽しいなぁ
となったにわかなんですね。
それまでは10年弱空手をやっていたんだけど、
経験が浅かったり始めた年齢がそこそこ遅いと
「にわか」って自己謙遜しなきゃいけないような
雰囲気が武道全般にある。気がする。全部偏見だよ。
それもこれもなぁ香ばしいくせに
競技は上手い連中が煩いせいなんだよな。
その才能を寄越せ。俺も香ばしくなってやろうか。

ただまぁ、剣道の良さは剣道家に左右されなくて
「競技の多様性」ってフレーズを上で使ったけれど、
まさにそうで、勝ち負けを超えたところで
人それぞれの目標(綺麗に面を打ちたい、昇段したい、大会で結果を残したい等)があって、
そこに向かっていく過程で
相手や仲間との稽古、試合を通して
学んで尊重し合って高め合っていくことができる
かつ、それが勝ち負けに限定されないのが
剣道延いては武道の良いところだと思うんです。

球技は知らない。
蹴ったり投げたり楽しいだろうしいいと思うよ。
知らんけど。

どちらかと言わなくても俺は考えてから動くタイプで、剣道に関してもノートとか作っちゃう方なので
ここでもアウトプットできればいいなと思う。
あとは剣道の試合の感想とかね。いないんだ話せるのが。話させてくれブログなんだから。は?